日本の歴史 
まとめの書『アトランティスの幻/地球の真実の歴史(楽天kobo)
無料試し読み《 第1章 アトランティスが実在した証拠。
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日本の古代
 約6万年前にアフリカを出たグループは苦労を重ねながら世界に拡散し、約4万年前頃に南方から日本列島に達したと考えられています。この人達に関してははっきりとした記録は残っていません、しかし黒曜石の石器や採掘跡、磨製石器などが日本各地に残されおり、日本に後期旧石器時代に人が生活していた事ははっきりしています。人類の出アフリカ説も遺伝子研究によりほぼ確実と言えるでしょう。
 しかしそれ以前にも日本に人が住んでいた可能性が高いと言えます。もっと以前の遺跡もぽつぽつと出土しているからです。遺伝子上のイヴは12〜20万年前のアフリカですが、遺伝子上のアダムは6万年前のアフリカです。人類のイヴは今は絶えた血統の男性と結婚していました。遺伝子上のアダムとイヴの存在は、それ以外の血統が無かったと言う証明では無いのです。

 私は「古事記」が非常に正確な歴史書だと考えています。古事記の記述に当てはめるなら、アフリカから移住した人達がスサノオの子孫とされる人で、元から住んでいた人達がワダツミの子とされる人だと考える事が出来るでしょう。
 古事記ではスサノオは日本に来てから、「八岐大蛇」神話など元から住んでいた人を助けています。その子孫が大国主となり協力して国造りをし発展したとされています。ワダツミの子孫は安曇族に繋がるとされており、スサノオの子孫は大国主の出雲に縁が深いされています。これを出雲族とします。

 今から約2万年前は氷河期の末期で、海面が今より約150メートルも低かった事が分かっています。瀬戸内海は陸地であり、日本列島と朝鮮半島や中国がほぼ陸地で繋がっていました。安曇族と出雲族は協力し日本各地や今は沈んでしまった平地にも広まったと考えられます。

アトランティスの台頭

 安曇族や大国主の子孫達が東アジアの中原葦原で国造りを頑張っている頃、遠く離れた南米では恐るべき帝国が生まれつつありました。伝説で後にアトランティスと呼ばれるようになる帝国です。この国は分業と階級社会を追求し、科学と文化が発達し、人類史上最強の帝国に育って行きました。

 約1万5千年前、アトランティスはすでに世界最強国家となっていました。しかし、その繁栄と裏腹に内部に著しい社会矛盾と腐敗を抱えていました。そしてその傲りのため世界征服に乗り出す事になったのです。

 彼らは空飛ぶ船(天の鳥船)を発明し、東アジアに有った大国主の国はあっという間に征服されました。大国主は出雲の地で隠遁生活を送る事になります。これが有名な「大国主の国譲り」神話です。
 後にアトランティスと呼ばれた国の民は、太陽神アマテラスを崇拝し自らを太陽の民アマゾンと呼んでいました。
 アマゾンは今の九州地方に文字通り空から降臨し、そこから西に向い気に入った場所に大神殿を建造しました。これが「天孫降臨」神話です。

 アマとはアトランティスの事だったのです。高天原とはアトランティス本国の南米で、中原葦原とは九州西部の今は沈んだ陸地だったのです。

 アマテラスの子孫と自認する天孫(アマゾン)は、日本と東アジアを完全に支配しました。日本を支配するため各地に鳥船を飛ばし、アマ兵士の駐屯地としてオガ(オギ)とメガ(メギ、ニョゴ)を作りました。アマの兵士は男女で別れて生活するのが決まりだったのです。またアマの鳥船の目印とするため各地に巨石を配置しました。アマの兵士は巨躯で気が荒く、秋田のナマハゲ伝説はこの時期に生まれました。天孫は海と空を支配し、海族もアマ、空(族)もアマと呼ばれました。

 アマは厳しい階級社会であり差別社会です。自由と平等とは完全に対極にある国です。そのため日本支配は残忍で過酷なものでした。アマは女系社会でもあった為に日本の治安維持担当も女性が多く、「アマ」は最大限の罵倒の言葉としても日本語に定着する事になります。

崩壊

 しかし、何時の時代も反対勢力は存在します。当然、世界各地にレジスタンスが居ましたし、またアマ国内にも腐敗と社会矛盾にウンザリした反政府勢力が存在していました。
 彼らは結託しアマを崩壊させる為の策略を立てる事にしました。しかしアマはあらゆる意味で人類史上最強の帝国です、抵抗など全く不可能だと思われました。

 そこで現れたのが天才的レジスタンス集団「ジャク(アマのジャク)」です。彼等は北アメリカ大陸に有った厚さ3千メートルを越す巨大な氷床に目を付け、これを溶かし決壊させる事を思いついたのです。計画は極秘裏に進められ熱源が北米の氷床に投下されました。熱源は静かに氷を溶かし深くその底に沈みました。

 アマの世界征服は順調に進行していました。東アジアを征服しアフリカも征服しインドも征服が終りました。残るは地中海奥地のエジプト付近と中央アジアぐらいです。地球全土の完全征服は実現目前であったのです。

 そして運命の日が来ました。

 突然の地鳴り、異常な空気振動。アマの住民は耳を疑います。しかしそれはすぐ絶望に変わりました。

 氷床に投下された熱源は氷を溶かし最下部まで沈み、そこで氷を溶かし続けました。誰にも知られる事の無く拡大し続けた氷床内部の湖は、超巨大になり計画通り南部に向けて一気に崩壊しました。それは高さ百メートルを遙かに超え、幅数百キロの土石流となり、メキシコ湾に注ぎ込み、巨大な想像も付かない規模の濁流となりながらアマの首都を襲ったのです。

 突然襲った高さ100メートルを超す超巨大津波、いや土石流と言った方が適当でしょう。一瞬にして首都は壊滅し逃げおおせた人はほとんど居ませんでした。鳥船を使い一部の人が上空に逃げましたが、小山に逃げた人は助からりませんでした。高さ百メートルを超す津波には、安全な場所は上空か高さ千メートル以上の山地ぐらいだったのです。

 北米で発生した津波はアマだけでなく世界中を襲いました。ギリシアやエジプトと戦闘中だったアマの兵士も飲み込まれて大勢死にました。もちろんギリシア兵も飲み込まれて大勢死にました。世界中を津波が廻り続け何回も何日間も各地を襲い続けました。
 中原葦原にあった天孫大神殿も飲み込まれました。しかし日本に来ていた天孫は津波到達まで時間的余裕が有り、鳥船を使い避難する人が多く居ました。また山が多い地形も幸いし被害はアマ本国より少なくて済みました。

 世界中に居たアマの貴族や技能職が対策を考えましたが、どうする事も出来なくて生き残りは世界各地に散って生活する事になりました。地位の高い生き残りの多くは津波を恐れ、鳥船で極端な高地(アンデス、アステカ、チベットなど)に移り住みました。中には置き去りにされた兵士もいました。アフリカ中部やイベリア半島に逃げた人も多く居ました。

 日本においては天孫大神殿は津波で水没し、生き残りは南部に逃げた勢力と北部(九州や朝鮮半島や大陸)に逃げた勢力に分かれる事になりました。北に逃げた勢力は今まで支配してきた現地勢力と津波を恐れ、山地に城を造りそこを拠点としました。これが朝鮮山城や神籠石城です。更に大陸の奥地の中央アジアまで逃げた勢力も居ました。一部の勢力は離反(反乱)しアマの支配を離れました。

 アマのジャク(天の邪鬼)の計画は完全に成功しました。レジスタンスは大いに喜び湧きました。しかし本当の悲劇はこれからだったのです。

絶望する文明

 氷床湖が決壊し冷たい真水が大西洋に大量に流れ込んだため、北半球は一気に寒冷化し平均気温が約10度も下がりました。これにより農業による収穫がほぼ壊滅状態になり、全世界に人類全体に激しい食糧不足と飢餓が襲いました。これは何年も続き人類は激減します。巨大氷床湖の決壊により、北米大陸が浮き上がり地軸が少しズレました。これが更に気象変動を拡大させました。

 氷床湖が決壊した跡は巨体な窪みとなり、ここに水が溜まり巨大な氷床湖がまた出来ていました。これが定期的に決壊し、寒冷化と津波がその後も世界中を何度も繰り返し襲うことになったのです。激しい気象変動が何百年も続きました。

 低地に移住した人達はこれにより全滅状態となりました。東アジアの天孫も南部に移住した勢力は度重なる津波と海面上昇で壊滅状態になりました。これが古事記の「山幸彦海幸彦」神話です。
 九州山地に避難した勢力(山幸彦)は、大国主と違う日本古来の勢力の安曇族の協力を得てなんとか生き延びます。数千年も続いた大きな気象変動は、文明の多くを消し去りました。鳥船は使えなくなり農業も不作が多く、原始的な採取に頼るほか有りませんでした。人々は過去の文明の名残だった建物や機器を破壊しながら再利用して生き延びました。この不安定な時代が5千年間も続く事になります。

 人口は減り続け技術も知識も途絶え、文明は限りなく衰退を続けました。

再生への努力

 天孫が弱体化した事により大国主は再度日本を掌握します。ただし多くの旧支配地は海面上昇により水没していました。日本列島にはスンダランドからも避難民が来ていました。大国主は彼等を日本各地に分散させ移住させます。しかし天孫は純血思想が強く中でも王族は頑なでした。自分たち以外の全ての人を下等な差別すべき対象と見ていました。

 大国主の元、年に一度出雲の国に日本各地の指導者が集まり、気象変動や日本各地の状況の情報交換や、度重なる気象変動に対する対策などの話し合いが持たれました。新たに自然環境が改善した地域の開拓も進め、人的交流も活発に行われ、日本各地に新たな国が生まれました。これらは、ワ(倭)、オ(奥)、ウ(羽)などと呼ばれました。日本語の1人称や2人称が多彩なのは古代の国の多さが原因だと思われます。

 天孫の末裔は九州と五島列島辺りに勢力を移していましたが、激しく弱体化し大国主に従うしかありませんでした。しかしアマの誇りと世界支配の野望はずっと持ち続けました。言語も徐々に日本の標準語だった古代出雲語に変化していきますが、イントネーションは変化せず関西弁の原形になります。彼等のプライドは相変わらずです。

 アマの兵士だった者も脱走したり暴れたりと多くの問題を引き起こしていました。組織的に反乱を起こした勢力も居ました。彼等は後にオン(オヌ、オニ)と呼ばれる事になります。
 アマの知識層や技術者の一部は日本各地を渡り歩き、アマが独占し門外不出としていた知識や技術を民衆に伝えました。彼等はキツネと呼ばれ日本中から感謝され、役目を終えて去った後も稲荷(イナリ)様として信仰の対象となりました。
 オンは逆に節分など忌み嫌われる対象になって行きます。キツネの中にはオンと一緒に山奥に潜み、そこに生活の場を確保する者もいました。彼等は後に天狗(テング)と呼ばれる存在に変化して行き、山岳信仰や修験僧の元となりました。

 アマでは長年続いた階級社会が人の外観まで影響し、キツネは色白で鼻が高くオンは巨躯で戦闘時には身体を赤や青く塗っていたと考えられます。オンの男は身体を赤く、オンの女は身体を青く塗っていたようです。キツネも肌を白く塗っていたのかも知れません。
 そして王族や貴族は家を守るために、子牛のように巨大なタテガミの有る犬(シシ)を番犬として複数飼い、更に兵士オンを警備のために常駐させていました。それらの微かな記憶がずっと伝えられ、神社の狛犬や仁王像という聖域を守る偶像に変化し、また鬼瓦やシーサーとして今も残っていると考えられます。

 金髪碧眼の王族の側にはタテ髪の有る巨大犬シシがおり、白い鼻の大きい知識層のキツネがサポートしていました。それらを警護するオンは、筋骨隆々とした巨躯で更に全身を赤と青に塗っていました。他にも小人とか特徴的な肉体や服装の階級の人達が大勢居たでしょう。これらは世界中の神話や伝説に影響していると思われます。まさにおとぎ話のワンシーンを連想させるような組み合わせです。

新たな勢力の台頭

 今から約4200年前頃に、最後の大規模津波が発生しました。これにより世界中の沿岸部は壊滅状態になりました。これは以前から見れば小規模でしたが、その影響は大きく三内丸山もこの時期に放棄されています。世界中の国も影響を受け、エジプト、シュメール、モヘンジョダロ、長江も同時期に崩壊しました。

 しかし大陸奥地では津波の影響を受けずに、寒冷化にも比較的強かった北方民族が増加していました。彼等は残忍であり徐々に支配地を広げつつありました。彼らの一部はアマ(アトランティス)の末裔であり、異民族の支配を正義とする伝統が残ってました。

 多く長い戦乱を経て、やがて東アジアに帝国が生まれました。秦とその始皇帝はアトランティスの末裔だったのかもしれません。始皇帝には金髪碧眼の伝説が残っています。とにかく秦は、その本能と言うべき残忍さと支配欲で中原を統一しました。

 それを伝え聞いて日本のアトランティスの末裔も我慢が出来くなりました。日本にはすでに水田が伝わり、また気候も安定した事により人口も増えかなり余裕が出てきていました。中華戦乱に伴い多くの難民が日本に流れ着いていましたが 大国主は各地と相談の上、この人達を日本各地に分散して移住させていました。この人達は今は弥生系と呼ばれており、難民ゆえに女性が多く日本人の外観がこの時期に変わりました。

 アマの末裔は悩んだ末に九州北部から畿内を目指し東征を決意します。そして時間を掛けあらゆる策略を使いながら畿内に移動する事に成功しました。これが「神武東征」神話であり、これが倭国大乱と呼ばれたと考えられます。広島の吉備族は天孫に協力した土着の勢力であり異質の勢力として残りました。大国主が居たはずの出雲も上手く丸め込まれたようです、莫大な貢ぎ物が有ったのでしょう。
 この吉備族ですが、瀬戸内に取り残され別のアマ系だったかもしれません。瀬戸内にには巨石や鬼伝説が数多く存在しています。

 しかし倭の他の国は従おうとはしません。伝統的に仲が悪いのですから仕方有りません。畿内で勢力を拡大した天孫の末裔は、魏に使者を送り倭国の王と認定してもらいます。これが「邪馬台国」です。しかし、それでも他の国は従おうとはしません。しびれを切らした天孫の末裔は、結局は武力により出雲を残忍に屈服させ熊襲も倒しました。その結果、多くの国が恐れ従う事になります。しかし東北は従わず蝦夷と呼ばれる事になりました。

 天孫の勢力は大国主を引き継ぐ「倭」を名乗る必要も無くなり、倭を「日本」と改名し自らを「天皇」と称しました。つまり自らを「日の出ずる国」から来た王であり、この地の新しい支配者である事を宣言したのです。
 この「日の出ずる国」の意味は東に合った国を指し、それは元々はアマ本国(南米)の事でした。しかしその記憶は薄れ、やがて今の日本を指すように自然と変わって行ったのです。
 出雲への遠慮はその後も少し残りましたが、日本のアマの末裔の悲願が一部ですが達成されました。一部と言うのはアマの最終的な悲願とは、もちろん「完全なる世界征服」ですから。

 1万年以上の時の流れの中で古代文明の遺産が全て消え、世界は膨大な知識を失いました。しかし他国による支配や民族の移動がほとんどなかった日本列島には比較的多くの物が残りました。日本は世界で最も古代文明の知識や習慣が残っている地域だったのです。アトランティス(アマ)は工学と呪術が科学的に融合した国家でした。それが伝統となり今も日本に色濃く残っているのでしょう。

 おそらくは直系のインカ文明には、アトランティス存在の具体的な証拠を示す物が残っていたと思われます。しかしそれらは中世の植民地支配により、全て失われてしまいました。建物や文化や知識や人、未曾有の古代文明の宝が短期間で野蛮に完全に消されました。今ではただ石垣と石の道路が残るのみです。

繰り返される歴史

 世界中にアトランティスの末裔やその精神を受け継ぐ者がいます。彼らの多くは自分が優れていると主張し、人を見下し支配する事を正義と考えてるでしょう。近世でも世界規模の戦争が有りましたし、支配と被支配の戦争は有史以来ずっと続いています。

 古代の歴史は今も形を変えて繰り返されています。野望の果てに世界を巻き込んで滅びる様な「誇り高い者」による「愚者の歴史」は二度と無しにして欲しいものです。


※この文章は歴史的な資料を元に想像で作られています。 事実とかなり異なる可能性が有ります。ご了承下さい。

2010.3.25初、 3.31修正、4.6一部修正、5.26オヌをオンに、6.21一部修正

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