アトランティスの幻 
 
まとめの書『アトランティスの幻/地球の真実の歴史(楽天kobo)
無料試し読み《 第1章 アトランティスが実在した証拠。
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アトランティス伝説の謎


 アトランティスどんな国だったのでしょうか。伝説によれば大西洋に存在する巨大な島で、強大な軍事力を誇る帝国だったといいます。その都は何重もの巨大な運河が囲み、海から来た巨大な船が楽に運河を通り奥まで航行する事が出来ました。その中心には巨大で豪華な神殿が存在し、見る人を圧倒していたといいます。
 それだけではありません、都の南には広大な平原が存在し、そこからは年2回農作物が収穫できたといいます。その平原は広さが1辺が550kmぐらいもあり、大きく十のエリアに分けられ各エリアごとに王が存在し管理していました。そのエリアには更に6万の小区画に分割され、有事の際は一つの小区画から20人の兵士が召集可能でした。つまり各エリアでは120万人になり、アトランティス全体では1200万人もの兵力になります。
 これほどの兵力を集められる国家は、現在も過去も存在しません。第2次大戦の連合軍もここまで多くは有りません。アトランティスが伝説通りだとすれば、有史以来最大の帝国も軽く凌駕する規模でした。

 この規模の大きさがアトランティスを有り得ないと断じさせ、空想伝説と決めつける原因でもありました。もちろん大西洋には、そんな巨大な島が存在した痕跡は有りません。では沈んだ陸地ではどうでしょうか。南北アメリカ大陸の大西洋沿岸には大陸棚がありますが、そこまで広大な広さは無理です。ではやはりアトランティスは空想だったのでしょうか?

 しかし、南米には広大な平地が存在する事に気付きます。それはアマゾン川流域であり、現在のブラジルです。もしここがアトランティスだったと仮定してはどうでしょうか。1辺が550kmぐらいもある広大な平原は問題なく当てはまります。
 アトランティスの都が有った場所は海沿いでした、そして運河に囲まれていました。運河は物資の輸送に使う場合が多いので、アトランティスの運河も水運のためだと考えられます。しかし、なぜアトランティスの都に広大な運河が必要だったのでしょうか。貿易がそんなに盛んだったのでしょうか。

 南米の広大な平原をみると、巨大なアマゾン川が網の目のように流れています。もしアマゾン川に船を浮かべ、水運を中心にした物流網を築き上げれば、大規模輸送が可能な交通網が容易に構築できる事に気付くでしょう。そしてその物流の中心は河口が一番都合が良いと言えます。広大な平原の物流が、必ず河口の一点に集まるからです。
 アトランティスの都がアマゾン川河口に有れば、広大な平原を繋ぐ水路が自然にできます。国中をアマゾン川を水路にした物流網が出来ていた。そう考えると、都を取り巻いていた巨大な運河の存在も、まったく納得いく物になります。広大な平原、そこで収穫される膨大な生産物、広大な運河、河口の大都市、全てが繋がるのです。

 アトランティスの都はアマゾン川河口に有ったと考えられます。中洲を利用し巨大な水路が巡る大都市であったと思われます。これでアトランティスの伝説の謎は解けました。その規模も人口も運河も、何も不思議では無く当然の結果だったのです。


アトランティス文明の名残

 しかしこの巨大な帝国だったアトランティスは滅びました。直接的な原因は、氷床湖の決壊が原因の巨大津波だったと思います。その後は急激な寒冷化が世界を襲いました。これらの猛威で高度な農業を営んでいたアトランティスは急速に衰退したでしょう。しかし、アトランティスが天変地異によって滅んだとしても、アトランティスの全国民が完全に消えたとは考えられません。生き延びた人は居たはずです、一体その人たちはどうなったのでしょうか。

 仮に生き延びた人たちが居たとすると、まず、その後もその場所に残り農業をしていた事が考えられます。しかしこの人たちは度重なる気象変動と、温暖化による熱帯ジャングル化で、徐々に衰退を余儀なくされたに違いありません。
 現在、古代アマゾン文明なる物が注目されています。アマゾン川流域に点在する農耕と居住跡です。モホス平原にある遺跡もその一つですが、最盛期で1000万人居たとも推測されています。驚くべき規模ですが、この推測ですらアトランティス時代よりかなり少ないかも知れません。古代アマゾン文明がアトランティスの地方都市の名残の可能性があります。都は海底に有り、アマゾン川から流れてきた膨大な堆積物に埋まってるでしょう。

 北に逃げた人は高地に移住し、マヤ文明の元になったと思われます。西に逃げた人はインカに影響を与えたかも知れません。アンデスには数多くの遺跡が残されています。しかし現在の中南米にはアトランティスの名残は残っていません。中南米に存在した先史文明の伝統は、欧米人の侵略によりほぼ完全に破壊されました。

 東に逃げた人や戦争のため遠征していて取り残された人も居たと思います。その人たちはどうなったのでしょうか。伝説によれば、アトランティスは現在のリビアとイタリア半島まで侵略し、ギリシアとエジプトに迫っていたと言います。そしてギリシア・エジプト同盟軍がその攻撃を食い止めた時に、洪水によりアトランティスは滅びギリシア軍も巻き添えで滅びました。
 ギリシアがアトランティスまで攻め込んだという説もありますが、どう考えても戦場は地中海です。遠くアトランティスが滅んだ時に、地中海で敵対していた両軍も滅んだと考えられます。これは不思議では無く地球規模の津波が襲えば当然の現象です。もしかしたら祖国の大災害の連絡が有り、アトランティス軍が戦闘停止したのをギリシア側が勝利と勘違いしただけかも知れません。これらの軍人たちも少数の生き残りは居たと思います。

 ヨーロッパの歴史には、しばしば謎の民族が出てきます。紀元前にギリシアやエジプトを苦しめた「海の民」や、神話や伝説に出てきますが存在が確認されなかった「アマゾネス」がそれです。アマゾネスは有名です、映画や小説などにも良く出てくる女だけの戦闘民族です。ギリシア神話では黒海付近にいたとされ、ギリシアと何度も敵対し戦争しています。何故かギリシアを目の敵にしていたようです。黒海はその昔アマゾン海とも呼ばれていたので、アマゾネスは実在の民族だと思われてましたが、存在は確認されていませんでした。

 しかし、ここに奇妙な一致に気付きます。アマゾン川とアマゾン海の一致です。アマゾン海はアマゾネス神話によるものと思われます。ではアマゾン川はどうでしょうか。アマゾン川を命名したのはスペイン人です。スペイン人が南米を探検してる時、巨大な川を見つけ流れ下りました。そこで出会った先住民にたずねると、自分たちを「アマゾン」と呼んだというのです。そして、奇怪な戦闘集団にも出会います。凶暴で強い女を中心とする戦闘集団です。その集団に攻撃されスペイン人は苦戦し大きな被害を受けます。つまりインディオが自分を呼んだ「アマゾン」と、アマゾネスに似た戦闘集団に遭遇した事から「アマゾン川」と呼ばれるようになったのです。

 アトランティスが存在したとするなら、アマゾン川流域がアトランティスであった可能性が高い事は前に説明しました。とすれば「アマゾン」とは、アトランティス人が自分たちを呼ぶ時に使った言葉であるという可能性が出てきます。そして彼らは女系社会で戦闘を好んだ民族であったのではないでしょうか。

 ヨーロッパで謎の民族と呼ばれている存在に、アフリカ北部に広く居住しているベルベル人がいます。ベルベルとは本来はギリシア語で「言葉が分からない」という意味だそうです。ベルベル人は非常に古い民族と言われ起源が不明です。自分たちに事は元々は「アマズーグ」(高貴な出身)と呼んでいたらしく、なんとなく「アマゾン」に似てる気します。この人たちも関連はあるのでしょうか。
 ベルベル人は伝統を重んじ、世界最強の戦闘民族と呼ばれています。イスラム教ではあるが元は女が強い女系社会だったようです。歌と踊りを好むそうで血液型はRhマイナスが多いといいます。

 ヨーロッパの西の方にはイベリア半島が有りここに住むイベリア人もいました。この人たちもはっきりとは分かっていません。ただイベリア半島には古代からバスク人がいます。古くから居たようですが、やはり起源は不明です。ただこの人たちも血液型もRhマイナスが多いそうです。

 また古代のヨーロッパには、広い範囲でガリア人と呼ばれる先住民がいました。これらはローマ帝国により占領され、その後はキリスト教化されて現在のヨーロッパとして同化して行く訳ですが、当時は自然の神を信仰していたといいます。このガリア人文化の元と考えられているのがケルト文化です。
 ケルトには「大陸のケルト」と「島のケルト」が有ります。大陸のケルトは遺跡に見られますがローマ帝国とキリスト教によりほぼ完全に消え去りました。たぶん微かに残っていたかも知れませんが、キリスト教以外の原始宗教は魔女狩りの標的にされましたので完全に消えたでしょう。

 島のケルトは現在のアイルランドのケルトで今も色濃く残っています。ケルト民族は歌と踊りに造詣が深く、ヨーロッパ文明にも大きい影響を与えました。そしてドルイドと呼ばれる司祭の存在が特徴的です。彼らは社会の頂点に立ち、知識と権力を独占していました。キリスト教が入ると、彼らは真っ先にキリスト教に改宗し、キリスト教の司祭として変わらず社会の頂点に立つ事になりました。つまりドルイドという支配層がキリスト教になった事で、アイルランドではケルトという伝統文化が守られた事になります。
 アイルランドにはダーマ神族の神話が残り、高度な天文学の知識を有していたらしい謎の先住民の遺跡が存在します。アトランティスの生き残りとの関連はあるのでしょうか。

 アトランティスの生き残りが東へ逃げたとすれば、最初に到達したのはヨーロッパとアフリカの西海岸でしょう。地中海内部の西方も有るかも知れません。アフリカ西部に到達した生き残りは、アフリカ中部に移住し生計を立てたと思われます。なぜなら海岸線はまだ津波の危険が有るからです。ヨーロッパ西部(イベリア半島)に到達した生き残りも、同様に高原地帯に移住し生計を立てたでしょう。
 アトランティスの生き残りが移住したと思われる場所は、古代ヨーロッパの謎の民族と一致するのです。

 この人たちがその後どうなったかというと、緑豊かだったアフリカ中部は温暖化により砂漠化します。そこに住んでいた末裔達は、更なる移住を余儀なくされました。北に向った民は砂漠化に追われるように衰退したでしょう。東に向った民はナイル川上流に住み着き、上流エジプト文明と呼ばれる物を作る事になったと思われます。アフリカ中部にある岩絵とエジプト文明の壁画に類似点が見つかります。この上流文明と下流に有った元のエジプト文明は、やがて統合しピラミッドを造るエジプト王国になります。

 ナイル川よりもっと東へ向った民も居たでしょう。彼らはシュメール文明の元になり、アッシリアに影響を与えたでしょう。そして黒海地方やパレスチナ地方へも進出する事になります。その子孫はフェニキア人に繋がるかも知れません。

 謎の民族はギリシアに反抗する勢力が多く「海の民」もそうでした。彼らは地中海内部を暴れ回り、ギリシアやエジプトを苦しめた海賊のような存在です。海の民はイタリア半島の住んでいたという説も有るし、フェニキア人だったという説も有ります。アトランティスの子孫は、伝統的にギリシアとエジプトが嫌いだっはずです。なぜならそこと戦闘中に祖国が滅んだからです。ギリシアとエジプトにとってはいい迷惑ですが、ギリシア神話のポセイドンとアマゾネスの話には、アマゾネスがギリシアを敵視したいきさつを書いてあります。

 イベリア半島に移り住んだ人たちはと言うと、ローマ帝国に侵略されキリスト教化され多くの文化は消滅しました。しかし迫害を逃れ北方の島に移り住んだ人たちも居ました。特にアイルランドではローマ帝国の支配も無く、古い伝統文化が色濃く残ったと思われます。バイキングも名残りかも知れません。ヨーロッパのアトランティスの生き残りの多くは戦士で、海洋戦闘集団でありその子孫を残したのです。

 これらのアトランティスの子孫らしい民族を見ていると、アトランティスの社会が浮かび上がります。彼らは多くが戦闘民族です。女系社会であり戦闘の指揮は女がします。歌や踊りに優れています、身体能力や運動神経が特殊なのでしょう。装飾が好きで華美であるといえます。造船技術と航海技術に長けてて、天文知識など技術や科学知識が豊富であると言えます。あとRhマイナスが多いなどもありますが、忘れてならないのが、厳しい階層社会であったと思われる事です。これはドルイドの習慣から想定されます。
 アトランティスは階級社会が厳しかったため、歌や踊りなどの娯楽が発展したと考えられます。生まれ付きで身分が決まってしまう階級社会では、下層民には他に楽しみが無いため、その不満を解消するためスポーツや娯楽が発展しやすいと言えます。現代社会でもその傾向はあります。

 自然科学について高度な知識も有ったようです。高度な天文知識が残り、空飛ぶ船の伝説も残っています。しかし知識は一部の層しか学習できずに秘密にされた様です。文字は有った様ですが、これも一般化させなかったと思われます。ドルイドの口承伝承の文化がこれを窺わせます。
 アトランティスでは権力を守るために、知識を 徹底して隠そうとしたのでは無いでしょうか。文書を残さない事は、知識の隠匿に非常に効果が有ります。これが他の国家との技術力の差を決定づけ、帝国としての存在を確かにしたのでしょう。

 しかし、この知識の独占には非常に悪い面もあります。階級が固定化し堕落しやすい事もそうですが、戦争や災害など何らかの原因で死んだ場合にその知識が失われることです。それを防ぐために多人数で保持する訳ですが、アトランティスを大災害が襲った時、一瞬にして数多くの知識人の命が失わました。知識人は都に住む事が多いですが、その都が海岸に近かったため最も大きな被害を受けました。
 アトランティスでは知識は高度でしたが、階級により知識が細分化されて保持されており、その知識を担当していた人の命が無くなれば、誰もそれに替わる事は出来ませんでした。一部が失われただけで高度な兵器も文明も機能しなくなりました。アトランティスが高度な社会であれば有るほど、その影響が大きかったのです。
 そうして一度失われた知識は、もう二度と復活させる事は出来なかったのです。そしてアトランティスの知識と繁栄は、簡単に急激に衰退して行ったのでしょう。



日本とアトランティス、驚愕の歴史書「古事記」


 日本とアトランティス、一見無関係のような両者ですが、実は深い関係があるみたいなのです。それは日本最古の歴史書である古事記に記録が存在しています。古事記は日本最古の古事記として非常に価値があるのはもちろんですが、物語風に時代を追って話が進行して行きますので、多くの神話のようにバラバラに話が拡散しません。これは歴史を流れを追う意味で非常に価値があります。

 前章でも「大国主の国譲り」の話をしましたが、その後「葦原中津国」の統治権を得た「高天原」の神々は、「天孫」ニニギを日向の高千穂に降臨させます。
 そしてその後に「山幸彦海幸彦」の話に繋がります。この話を簡単に説明すると、山に住む山幸彦と海に住む海幸彦の二人の兄弟がいて、海幸彦が山幸彦を苛めます。困った山幸彦が海の神の娘と結婚し、海の近くに住んでいた兄は魚が取れなくなり、更に田んぼの収穫が減り苦労し、山に住む弟の従うようになったという話です。その後弟は、海の神の娘と別れます。
 この話で思い浮かぶのが、津波などの海の災害と気象変動による不作でしょう。これと似た時代が実際にありました。約1万2000年前から4000年前のあいだです。この間は何度も大きな寒冷化が有り、津波も何度か有ったと考えられます。海幸彦が特に苦労したのも歴史的に合います。
 しかし大国主の国譲りの話が、ヤマト政権による出雲の支配者を屈服させる話であれば、時代的にまったく合いません。しかも、山幸彦の話の後に天皇家の始祖である神武天皇が生まれるのです。これでは大国主が負けた時にヤマト政権は影も形も有りません。

 では大国主は誰と戦ったのでしょうか?

 国譲りをおさらいしてみますと、最初はスサノオを乱暴者として追い出したアマテラスですが、ここに来て性格が変化してます。大国主(おおくにぬし)の国は自分の子孫が治めるのが正しいと宣言し奪おうとするのです。乱暴者を嫌っていた「高天原」が、覇権主義に変わってしまったようです。
 高天原は大国主から国を奪うために何度も神を派遣するのですが、大国主に取り込まれて家来になったり、所帯を持ったりして失敗します。派遣されたのは、かなり人間的な神だと言えます。
 そして最後は、建御雷神(たけみかずちのかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)の神を派遣し、出雲と諏訪を攻めて屈服させ大国主は国譲りをします。ここで派遣されたのは「建雷」と「天鳥船」の神です、力で捩じ伏せました。

 そして、大国主の屈服させた高天原はニニギを遣わし、日向(ひゅうが)の国の高千穂(たかちほ)の山頂に降り立ちそこに住み着きます。これが「天孫降臨」(てんそんこうりん)と呼ばれています。つまり大国主が国譲りをした時、日本や日向の地には天皇の先祖は存在してなかった事になります。やはりこれでは歴史が繋がりません。建雷と天鳥船という神も気になります。雷を建てる(撃つ)空飛ぶ船を暗示してるようです。しかも高い山の山頂に降り立っています、やはり空飛ぶ船が有ったのでしょうか。「天孫」という言葉も気になります。

 「天孫」は「てんそん」と読まれていますが、古事記では「天」を「あま」と読めとわざわざ注釈を付けています。とすれば「あまそん」と読めます。古代語であれば『あまぞん』と訛るかも知れません。アマゾンとはアトランティス人が、自分たちを指した言葉だと思われる事は前に説明しました。

 もし「大国主の国譲り」がアトランティスの最盛期の事件だとすればどうでしょうか。そうすると古事記に書いて有る内容の多くの事柄が一致するのです。

 アトランティスが最盛期だったのは1万2000年前よりちょっと前でしょう。その後は氷床湖の決壊を原因とする巨大津波に飲み込まれて滅び、長期間に渡り激しい気象変動が続き世界中が衰退しました。つまり「国譲り→天孫降臨→山幸海幸」が繋がります。さらに長い時代が経ち、神武天皇の誕生の話に繋がるのでしょう。日本書紀においては、神武天皇は日向の地で「天孫降臨から179万2477年も経ってしまった。」と嘆いていま す。こんな年代は有り得ませんが、とてつもなく長い時間日向の地で埋もれていた事を感じさせます。
 神武天皇が出雲を倒したという説は、神武天皇が東征に成功した後に「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ) を正妃に迎えた事からも疑問が残ります。この妃はタタラの字が入っている事から出雲系だと思われます。神武天皇は日向で妃が居て子供も居たにも関わらず、新たに正室を必要としました。この日向生まれの腹違いの子は、神武天皇が死んだ後に反乱を起こそうとし処分されました。
 この後も何代かは出雲系と思われる姫が皇后になっているようです。この事から初期の天皇は出雲の権威を取り込もうとしていた事が窺えます。これが戦争の勝者であったとはとても思えません。また東征も何年も時間が掛かっており、畿内では地元豪族の強い反抗に会い上陸できず、伊勢地方に上陸してから近畿を目指しました。しかもだまし討ちまでしています。そこに出雲を落し諏訪まで攻め込んだと言う伝説の強さを感じる事は全くできません。

 アトランティスは全世界を征服しようとした覇権国家だったと伝えられています。世界の大部分を征服しましたが、天変地異により滅んだと言われてます。また空飛ぶ船を持っていたという伝説も有ります。事実は謎ですが、アトランティスが雷を撃つ空飛ぶ船を持っていた事も考えられます。古事記の神は人や物を表現しています。建御雷神と天鳥船神とは人では無く、兵器だったのではないでしょうか。こんな船が飛んできたら、どんな勢力でも敗走するしかなかったでしょう。

 「出雲風土記」には国譲りに違う話が残っています。大国主は負け葦原中津国(あしはらなかつくに)の支配権を天孫族に譲りましたが、一部の地域の支配権をそのまま残されたというのです。その地域は八雲立つ地域「出雲」です。日本には大国主や出雲ゆかりの神社が数多く存在しており、諏訪大社も戦いの敗者を受け入れて存続しています。大国主が日本の支配権を完全に失っていたとは考えにくいと言えます。

 「葦原中津国」は日本だと理解されていますが、それには疑問が有ります。なぜ次の支配者である天孫族は、日向の高千穂などという日本の端に降臨したのでしょうか。そこは日本を治めるには不便な場所だといえます。その証拠に神武天皇は、日向は余りにへんぴで不便であると、それを苦にして「東征」を始めました。なお日向というのは現在の日向では無く、九州の上半分のどこかでしょう。
 この降臨の場所決めは、その南方や中国大陸を意識したものかもしれません。1万5000年ほど前は、九州と中国と朝鮮半島は陸地で繋がっていました。この広大な平原を重要な地域と認識し、日向を選んだ可能性が有ります。日向の高千穂とは、おそらく九州中部の高い山で現在の高千穂地方辺りだと思われます。そこから西方に拠点を移動したのでしょう。阿蘇山を気に入って着陸した可能性も有ると思います。
 つまり大国主は葦原中津国だった領土の大部分を失いましたが、僻地の山が多い土地、出雲より東の支配権を保持した可能性が有ります。

 しかし葦原中津国を支配した天孫族は、アトランティスが滅んで何度も危機に瀕したものと思われます。母国の消滅、何度も襲う巨大津波、平原の水没、そして九州を襲った大噴火など、何度も大きな災害が有りました。天孫族の生き残りは九州北部の高台に移住して行ったでしょう。山が海より生き延びるには有利だったのです。日本は海面上昇により大陸と分断し、日向は日本の端になりました。天孫族の生き残りは細々と生存する事になったと思われます、「山幸彦海幸彦」の話しにも時間の経過と苦難が窺えます。そうして長い長い時間が経過しました。

 かろうじて九州に生き延びた末裔たちは、水田導入により息を吹き返します。真っ先に水田を導入した彼らは、人口も増え大陸の技術も取り入れて力を蓄えます。そしてある感情が持ち上がります。アトランティスは自分たちが最も優れた存在であると信じ、世界を征服しようとしました。その過去が悲願として復活するのです。
 十分力をつけた天孫(あまぞん)の末裔たちは、日本支配を夢見てもっと東の地、近畿を目指して長い旅に出ます。これが「神武東征」であり、倭国大乱のきっかけになったと思われます。時代的にも合います。近畿に移動した後のヤマト政権は、そこで力を蓄え念願の日本統一(征服)に乗り出します。出雲征服が成功したのはこの後でしょう。ここからは我々が良く知っている歴史になります。

 「大国主の国譲り」神話を、アトランティスと東アジアに合った大きな国の戦いの記憶であると仮定すると、古事記の物語とアトランティス神話と、我々が知ってる歴史の推移がキレイに一致します。古事記は驚愕すべき歴史書だと言えます。葦原中津国は東アジアの広大な平原を指していたもので、日本も含まれますが僻地的な扱いだったのです。
 また大国主が要求した高層神殿も、その時代に建てられたと考えるのが妥当でしょう。それは現在の出雲大社と違う場所かもしれません、海底に沈んでいる可能性もあります。真の出雲高層神殿は、アトランティスが建てた物なら石造りの高層神殿だった可能性がが高く、それがまだ出雲や隠岐付近の海底に沈んでいるかも知れません。


日本の持つ特殊性とは


 日本は世界的に見て特殊かも知れません。日本の皇室はおそらく1万3000年ぐらいの歴史が有るかもしれません。神武天皇は東征をした事で古事記に名を残しましたが、その祖先は天孫降臨まで遡ると言っていいでしょう。しかも九州から畿内への同じ国での移住は有りましたが、滅びる事なく現代まで継続しています。
 これは歴史的に貴重な事例だと思います。マヤやインカはアマゾン正統に近いですが歴史的に完全に滅んでいます。イングランド皇室やアイルランド教会も古いかも知れませんが、何度か移住していますので失った物も多いでしょう。
 日本の皇室は世界的に見て非常に価値が有ると言えます。未だに隠されている情報も有るかも知れません。

 そして日本にはアトランティスと戦い僻地に自治を得た大国主もいます。大国主の歴史は更に古く数万年以上になると思います。大国主という政治的な役割は失われましたが、信仰や伝統は今も残っています。これは反アトランティスだったという点でギリシア的かも知れません。日本人の源流にはこれが深く存在していると思われます。

 日本ではこの相反する2つが古代から継続しており、しかも同居しています。近代国家に変化しながら神話時代からの伝統が色濃く残る国、これが日本の構造であり特殊性の元になっていのではないでしょうか。


アトランティスの呪縛


 アトランティスの民が信じたものは、世界一の帝国を作り世界一の知識を有してる自分たちが最も優れた存在であり、アトランティスが世界を支配するのが当然であるという思想でした。しかし、それこそが世界を破局に導くきっかけになりました。
 世界征服を優先する余り自然環境との調和が疎かになり、氷床湖の存在に気付くのが遅れ、その対応も遅れました。その結果、世界唯一で最大の帝国アトランティスが完全に滅び、その子孫も激しい苦難に遭遇することになりました。これは現代人にも当てはまるかも知れません、我々は迫り来る自然の猛威をどれだけ理解してると言えるのでしょうか。

 アトランティスの幻は、今も世界各地に残っていると思われます。自分が優れている、又は優れた者の子孫である事を理由に、他人を支配する事を正当化使用する人たちが世界中に大勢います。しかし、その考えが過去に世界を破滅に導き、また将来も人類破滅の可能性を高くしてる事を理解すべきです。

 比類なき超帝国であったアトランティスですら滅びました。その末裔達も野望を達成しようとして帝国を作り、そして滅ぶ、これを繰り返しては悲惨な歴史を残しています。アトランティスの欲望を止めなければ、これが永遠に繰り返されるでしょう。アトランティスの欲望は不幸の種なのです、育ててはいけない物なのです。
 人類は地球に巣くうアトランティスの呪縛を、早急に断ち切る必要が有るかもしれません。


09.12.20初、2009.12.30神武天皇の嫁辺りを修正
目次
1章 古代文明の謎
2章 日本人と文明のルーツ
3章 アトランティスの幻(この ページ)
4章 ナスカ地上絵の謎と考察