アトランティスの都

まとめの書『アトランティスの幻/地球の真実の歴史(楽天kobo)
無料試し読み《 第1章 アトランティスが実在した証拠。
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はじめに

 アトランティスの都をCGなどで視覚化して検証して見ました。アトランティスの都については、wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/アトランティス)を参照しました。

アクロポリスと運河の関係

「アクロポリスのあった中央の島は直径5スタディオン (約925m)で、その外側を幅1スタディオン (約185m)の環状海水路が取り囲み、その外側をそれぞれ幅2スタディオン (約370m) の内側の環状島と第2の環状海水路、それぞれ幅3スタディオン (約555m)の外側の環状島と第3の環状海水路が取り囲んでいた。」
「3つの環状水路には幅1プレトロン (約30.8 m) の橋が架けられ、それぞれの橋の下を出入り口とする、三段櫂船が一艘航行できるほどのトンネル状の水路によって互いに連結していた。」
「一番外側の海水路と外海は、幅3プレトロン (約92.5m)、深さ100プース (約30.8m)、長さ50スタディオン (約9.25km)[7]の運河で結ばれており、どんな大きさの船も泊まれる3つの港が外側の環状海水路に面した外側の陸地に設けられた。」
「港が設けられた外側の陸地には一般市民の暮らす住宅地が密集していた。更にこれらの市街地の外側を半径50 スタディオン(約9.25km)の環状城壁が取り囲み、島の海岸線と内接円をなしていた。」
「平原は深さ1プレトロン(約31m)、幅1スタディオン(約185m)の総長10000スタディオン(約1850km)の大運河に取り囲まれ、 山地から流れる谷川がこの大運河に流れ込むが、この水は東西からポリスに集まり、そこから海へ注いだ[8]。」

環 状水路と島 注1
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図1
市 街地全域

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図2

 アクロポリスとは宮殿や神殿の有る台形の高台の事で、ギリシアのパルテノン神殿が有る地形が例に上げられます。 よってアクロポリスとは中央の島の一部を指していると思われます。
 海への運河の長さと市街地の環状城壁の半径が同じですが、環状水路+半径の事だと判断します。
※注1 図1はその後の研究で誤りである事が分かりました。(改正版 アトランティス運河 )

CGにしてみた

「環状水路や運河はすべて石塀で取り囲まれ、各連絡橋の両側、即ちトンネル状の水路の出入り口には櫓と門が建てられた。 これらの石の塀は様々な石材で飾られ、中央の島、内側の環状島、外側の環状島の石塀は、それぞれオレイカルコス(オリハルコン)、 錫、銅の板で飾られた。内外の環状水路には石を切り出した跡の岩石を天井とする二つのドックが作られ、三段櫂の軍船が満ちていた。」
「中央島のアクロポリスには王宮が置かれていた。王宮の中央には王家の始祖10人が生まれた場所とされる、 クレイトとポセイドン両神を祀る神殿があり、黄金の柵で囲まれていた。これとは別に縦1 スタディオン (約185m)、横3プレトロン (約92.5m) の大きさの異国風の神殿があり、ポセイドンに捧げられていた。」
「アクロポリスにはポセイドンが涌かせた冷泉と温泉があり、その泉から出た水をもとに『ポセイドンの果樹園』とよばれる庭園、 屋外プールや屋内浴場が作られたほか、橋沿いに設けられた水道を通して内側と外側の環状島へ水が供給され、 これらの内外の環状島にも神殿、庭園や運動場が作られた。さらに外側の環状島には島をぐるりと一回りする幅1スタディオン(約185m) の戦車競技場が設けられ、その両側に護衛兵の住居が建てられた。」

 これでは宮殿の形も色もまったく不明です。分からない部分は想像力で補完しました。あらかじめ御了承ください。

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図3
都の位置関係

 このサイトの仮説では、アトランティスは南米大陸であり、都の位置は南米のアマゾン川河口域(今は海底)になります。 よって海は北東にあり運河は北東向きになります。

 またアマゾン川河口域はほぼ赤道直下なので、1年の内に太陽は天頂から北にも南にも動きます。 日本では南向きに意味がありますが、ここでは南や北への向きは意味がほとんど有りません。 このことから神殿の向きは、東か西のどちらかだと推測出来ます。
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図4
運河と港

 少し拡大して見ました。3重の水路と外海への運河の関係がよく分かります。 運河は北東方向に伸びています。環状島に見える升目の模様は100m角です。

 橋の数は西に1本にしました。これは後述の神殿の向きから決めました。
 港は北西と南東と南西にしました。北西の港が主に外国船用で、南東の港が国内大形船用になります。南西の港が国内船用です。 環状水路の中は右側通行だと橋が邪魔になりにくく航行しやすそうです。
 外側の環状水路に居る船は全長100m、内側の環状水路に居る船は全長50mです。
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図5
海神(ポセイドン)神殿

 中央島のアクロポリスを拡大しました。上が北です。神殿は有りますが、その他の建物がほとんど建っていません。 分からないし作るのが面倒だからですが、いずれ仕上げたいと思います。水面から神殿の有る大地までほぼ100メートル有ります。

 奥に見える赤い屋根が海神(ポセイドン)神殿です。外海への運河が北東方向に伸びてるので、その方向に有ります。 海に向かって航海の無事を祈ったと考えられるからです。
 ポセイドン神殿の向きが決まりました。人々は海と運河が有る「北東を向いて祈る」事になります。

 中央には太陽神(アマテラス)神殿が有ります。神像は中心に位置し、天井は透明なピラミッド型の屋根です。 光を集め神像をより輝かせます。この辺は光を強くイメージして見ました。神殿の頂点までほぼ100メートルの高さが有ります。
 100メートルという高さは、天孫が建てた出雲の高層神殿がそれぐらいの高さですので、それ以下という事は無いだろうという事で決めました。
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図6
太陽神(アマテラス)神殿

 守護神である太陽神(アマテラス)神像が東を向いていたとすると、西に有る広大な国土に背を向けた形になり不自然です。 それよりは神像を西に向けたた方が良いでしょう。神像の向きが決まりました。

 人々は神殿まで一直線に延びた参道を通り神殿に参拝したはずです。これでアマテラス神殿の向きも橋の向きも決まりました。
 アマテラス神殿では、人々は神像が有る「東に向かって祈る」事になります。太陽と神像が重なる早朝の祈りは特別のものだったと思われます。

 水路の東にある一直線の緑の部分は公園です。祈りは雰囲気が大事なので市街地で無くしました。中央は池になっていて太陽の光を反射します。 言うなれば「太陽大通り公園」でしょうか。神殿も光の道を意識しています。

 しょぼいCG化をして気付いた事は、以前から「なぜポセイドン神殿とアマテラス神殿が別なのか?」この疑問が会ったのですが、 祈る方向が別なので建物が違う方が都合が良かったという事になりそうです。

  氷河期時代は雲りが多かったと思われますが、雲が多い地域では農業は不向きです。 この時代のアマゾン川下流域は南米大陸の東端であり、しかも赤道直下なので晴れの日が多かったと思われます。
 南米アトランティスは「大河の水、太陽の光、広い大地」、これらに恵まれており大いに発展したのでしょう。 氷河期時代において太陽の光が最も貴重な資源であり、自然と太陽神崇拝になっていったと考えられます。

 アトランティスの都の太陽神崇拝は、朝日が登る時に神像に向かって祈る事が重要な儀式になっていたと考えられます。 日本伝統の高い所に登り初日の出を拝む習慣は、もしかするとこんな所に起源が有るのかも知れません。

実は要塞都市だった

 気付いたの事は他にも有ります。アトランティスの都は極めて戦争での防衛に適した作りです。
【理由】
・外国の軍艦は9kmもある狭い運河を通って来なければならず、水門を閉鎖されたり途中で攻撃される可能性が高く、 環状水路まで到達する事はほぼ不可能である。
・環状水路(堀)が3重であり幅185メートルも有る。さらに水路には軍船が浮かんでいる。
・中央のアクロポリスを攻める為には橋を渡る必要が有るが、この橋は狭い上に長く、しかも両側から軍船の攻撃を受ける。
・外側の環状島には戦車と広い環状道路が有る。一つ目の橋をなんとか攻略出来たとしても戦車戦が待っている。
・環状島と環状水路により、兵力の移動と集中が容易である。敵を自在に挟み撃ちに出来る。
・兵糧攻めがほぼ不可能である。環状島と環状水路は船さえあれば、敵の勢力の手薄な所から物資や兵力の輸送が容易に最短距離で出来る。 また逆に敵が全方位封鎖すれば、おのずと手薄になり各個撃破する事が出来る。
・自国の兵士は外側ほど数が多い。中央部に攻め入ろうとすると必ず背後からも攻撃される。

アトランティス攻城戦
図7
 アトランティスの都の防衛システムは、日本の城と発想が異なっています。

  日本の城も巨大な堀が有りますが、日本の城の堀は守備している側にとっても大きな障害になります。 攻める側は特定の出入り口を固めれば、城の封鎖が容易に出来ます。
 守る側は味方の兵が城の中に集中し、城の外部が手薄になりがちです。そのため城の外を敵が比較的自由に動けます。内部は大勢の兵の為に生活環境が悪化し ます。 最悪なのは敵の背後を突くには、援軍を待たなければならない事です。
 篭城したらいずれ必ず負ける。これが日本の城です。

 アトランティスの都の防衛は城に閉じ篭ると言う発想が無く、防御と攻撃が一体化したより高度な防衛システムだと言えるでしょう。


 プラトンが書き残したアトランティスの都は、歴史上最も堅牢な要塞都市でした。難攻不落と言っていいと思います。 攻められた事すら無いかも知れません、敵国は最初から攻める事を諦めてしまいそうです。しかも美しさを感じさせますから凄いです。
 エジプトの神官も戦略的な意味で詳しく記録を残していたのかも知れません。

実は大都市である

大阪城堀
図8
 3重水路と戦国最強の城と言われる秀吉時代の大阪城と比較してみました。
GoogleMapの大阪城周辺の画像にネットで見つけた外堀を含む堀の画像を重ねています。

 アトランティスの都の3重水路の規模の大きさがよく分かると思います。
 秀吉がここまで頑張ってれば間違いなく歴史は変わっていたでしょう。 橋を攻略するのは極めて困難であり、兵糧攻めをするには水路の全周12kmに渡って兵の配置が必要です。家康の大砲も中心まで届きません。

 またこのような大規模な工事が可能だったアトランティスの強大な国力が窺えます。
tokyo
図9
市街地全域を東京と重ねて見ました。

 この円形の部分が城壁に囲まれた市街地の部分になります。東京23区がほとんど含まれるぐらいの広さです。大きいです。

 城壁内の環状水路内を除いた面積は約380平方キロメートルになります。 環状水路の外側は多くの兵士や庶民が住む人口密集地だったと言うことですが、人口密度に興味が出てきます。


おまけ

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図10
 アクロポリスのCGは妄想で成り立っていますが、これは高い城壁風にして見たものです。

 城壁の高さはほぼ100メートル、神殿の高さも屋根の頂点でほぼ100メートル有ります。柱の高さは40メートルです。 ポセイドン神殿の配置に余裕が出来、ちゃんと北東を向いています。王族の住むスペースが減った為円筒形の高層住宅化しました。

 一見有りかなと思ったのですが、城壁が不安定過ぎる気がするのと高い城壁に余り意味が無いと感じたので不採用になりました。
 もっと資料を集め検討しより正確にしたいと思います。

 アトランティスが信仰した太陽神はアマテラスでほぼ間違いないと思いますが、ボセイドンとは何でしょうか?
 アマテラスと関係が深くて海を治める神と言うとスサノオが思い浮かぶのですが、日本の神話だとスサノオは駄々をこねて高天原を追い出されています。 この辺を追求すると面白そうです。

まとめ

 ファンタジーのような空想と思われがちなアトランティスの都ですが、視覚化して検証して見ると実態は巨大で高度な軍事都市であり、 その記述には矛盾が有りません。よってプラトンが残した記述の信憑性が高まりアトランティスが存在した可能性も高まったと言えます。

 また想定される信仰儀式が朝日に向かって礼拝する形式であり、日本古来の日の出礼拝に似ています。 更にはアマテラス神像は太陽を背にしており、日本の「神格化される者」が太陽を背にしたがる伝統に重なるものを感じます。

 これらのことより当サイトが主張する「アトランティス南米説」と「アトランティス=アマ」説を補完出来たと考えています。


2010.12.25、 12.27調整、2013.10.2一部図を更新

 <資料と検証>
 古代の海面(再現画像有り)
 アフリカの大洪水の痕跡
 アトランティスの都(このページ)
 鹿島神宮とナスカ
 ストーンヘンジの謎を解く
 アトランティスの再現CG(このページの発展研究)
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