MAZU 経済の発展と最終形態

・MAZU経済発展型
 基本経済システムMAZUは、 衣食住と福祉の自給自足を目指す組合の様な物であり、定年も失業も過酷な労働も無い。これは、前章で説明した。
 MAZU経済発展型とは、現実社会への導入を想定した社会システムである。

 基本的な考えは、現在の資本主義的なシステムの中に、MAZUの様な組織(地域に密着した小さな高度な社会主義的な自給自足組織)を全国に多数作り、 それにより市民の社会基盤を安定させ、現代社会の諸問題を改善するという政策になる。
 それは、従業員の事を最優先で考える会社(給料が同一で、創業者一族の様な権力者が存在せず、誰でも社長になれる可能性が有り、 定年が無く仕事は公平に効率的に行われる)が、国中の会社の大部分を占めている状況に似ている。
そして最終的には、失業、年金、医療、介護、教育などの問題はもちろん、その他の現代社会の問題を、 社会の停滞無しに完全に解決する事を目標にしている。

・MAZU経済とは共産主義か
 MAZU経済を共産主義だと捉える向きも有るが、それはある意味正しいが、それだけでは無い。MAZU経済は効率化を求める。 最少の労力で最大の成果を追求する、それが参加者の共通の価値観になる。MAZU経済の元では、共産主義の悪癖である非効率さが排除される。

 仕事を怠けたりサボる事は、すぐ自分の不利益として反映される。効率が落ちれば労働時間は増えるし、 品質が悪くなれば自分が得る品物の品質も悪くなる。仕事をサボれば、自分も他の人の労働時間も増える。 自分の仕事が、自分の生活に直結しているのだ。そしてそれが誰の目にもはっきりと見える。
 つまり、自分のノルマの仕事を、質を下げないで少ない時間で終わしたほうが自分の為になるし、それが全体のの利益にも繋がる。 よく有る職場みたいに、だらだらと労働時間を伸ばすような事は無い。なぜなら、それは単に拘束時間が増える事を意味するからだ。 MAZUに残業手当は無い。特定の人の労働時間の増加は、他の人がフォローする事で対応する。無駄に労働時間を増やすような行動は、 誰の得にもならない。
 よって、共産主義的的では有るが、共産主義の様に非効率では無い。

・MAZU経済とは資本主義の 否定か
 MAZU経済は資本主義を否定していない。資本主義と共存することで、より優れた経済システムを実現しようとしている。
 資本主義は効率化と革新に強い。しかし、効率化の行き着いた先の余剰人員は、失業者か低所得者になる。企業はこれらを無視するだろう。 しかし、政府は無視出来ない。失業対策や、福祉などで多大な負担を余儀なくされる。
 つまり、資本主義は個々の会社で見れば効率的だが、社会全体で見れば負担の増大を招き、停滞と非効率を生む場合が有る。 資本主義は理想の経済システムでは無い。

 MAZU経済はこれらを克服する。失業対策も福祉も基本経済として成り立っており、政府はその予算を支出する必要が無い。 これらは知っての通り莫大な金額である。また会社は、解雇への批判を気にせず経済活動を行える。個人は失業を畏れる事無く起業できる。 そして定年も無い、好きなだけ働くことが出来る。つまり政治から年金問題が無くなる。
 そして、MAZU経済は労働時間の短縮を目指す。空いた時間は別の企業に就業して構わない。ノルマさえ終了すれば、 あとは自由に使える。つまり企業は仕事の量に応じて、パートや派遣を世間の目を気にせず自由に雇い解雇する事ができる。 企業は、雇用の維持と批判に頭を悩ませる事も無くなる。国策としての産業転換も容易になる。その効果は誰の目にも明らかだ。

 医療は治療より予防重視に方向性を変えるだろう、その方が効率が格段に良いからだ。医療機関は病気が減って患者が減っても倒産しない。 資本主義のもとでは、病気が根絶されれば医療機関は倒産して消えるしか無かった。
 教育は真に役に立つ知識を効率的に教える様になる。子供の能力と適性に添った教育を施せば、それが社会の利益になる。 学校は利益を気にしないで、理想の教育を追求できる様になる。高度な教育を誰にでも与える事、これは資本主義では不可能だった。
 MAZU経済は、資本主義と共存する事により、資本主義だけでは不可能だった優れた社会を作り出す事が可能になる。

・重大な欠陥が有る資本主義
 実は資本主義では、これからの未来が危ういと言わざるを得ない。資本主義は、物の不足した発展途上社会では、 非常に有効なシステムだと思う。飽くなき生産力の増強と革新がそこには有る。失業者も少ない。
 しかし、真に成熟した社会に置いて、資本主義はその輝きを無くす。効率化は失業者を増やし過酷な労働を生る。 競争に勝つ為だった余剰の生産力は企業を苦しめる。よって資本主義社会は、定期的に行き詰りの不況が来る。 政治家は、それをバブルで乗り切る。これが名政治家の条件である。
 しかし、その作られた好景気にもやがて不況が訪れる。また景気対策をして経済を上向きにしようとするが、 その対策は行き詰まり妙な金融商品に走る。そして、最後は溜まり溜まったバブルが崩壊し大恐慌になるだろう。これを資本主義は回避できない。

 恐慌を通常の方法で克服すると、何十年も不景気になる。しかし、経営者や民衆は不景気を容認できない。 よって政治家は、我慢できずに戦争を初めてしまう。戦争は物資の大量消費を生む。そして社会を破壊し尽くせば、 そこに新たな需要が生まれる。これが資本主義の隠された本質である。

 この資本主義の定期的な崩壊は、社会全体や市民の生活に、重大な悪影響を及ぼす。しかし、資本家や政治家はそれを無視するだろう。 国家レベルで資本主義を導入していれば、効果的な対策は無く、回避は事実上不可能だからだ。 そして、大規模な破綻の跡に資本主義の再生が有るからだ。

 経済が破綻する事は、それまで積み上げて来た市民の努力が無駄になり、人生が踏みにじられる事を意味している。 大部分の人が経済的基盤を失い、塗炭の苦しみを味わう。しかし、ごく一部の人は、そのチャンスを逃さず資産を更に拡大するだろう。 これが資本主義である。

 また、今の資本主義経済では、儲ける為の無駄が多過ぎる。
 過度な営業、過剰な包装、しつこいコマーシャル、無駄な機能など、無駄な経済活動が数多く存在し、無駄が無駄を生み、無駄な仕事を増やしている。
 これが仕事を増やし、雇用を増やしている面も有る。しかし、この様な労働は結局は無駄な労働になるのだ。

 資本主義で民間企業は効率化するかもしれない。しかし、政府や政府系団体は非効率化の道をひた走る。なぜなら政府系の産業には、 資本主義でありながら市場原理が働かないからだ。数多くの政府系下部機関は、割り当てられた予算を消費する為に存在する。そこには、 社会主義以上の非効率的な業務をする機関になっている。

 また、何十年も必死で頑張った会社が倒産したり、無駄競争をしたり、作り過ぎて廃棄したり、色んな事情で役に立たない大学を出たり、 箔を付けるため勉強を頑張ったら人生の半分を過ぎていたり、例を上げれば切りが無いほど、ありとあらゆる無駄が資本主義には存在している。
 資本主義は、何十年も頑張った地道な必死の努力も、せせら笑う様に冷酷に無意味にする。資本主義も共産主義以上に悲惨な無駄の固まりである!

・未来対応にも問題の有る資本 主義
 資本主義は、今よりずっと進んだ文明社会においては、完全に狂った経済システムになる。 もし、ロボットが実用化され、人工頭脳も実用段階になったら、労働者はどこで労働するのだろうか。 いつかは分からないが、将来、ほとんど全ての労働をロボットが担当する社会が来るかも知れない。
 しかし、現行の資本主義では、その社会に対応出来ない。99%の失業者が生まれるだけだ。今のままの資本主義では、 未来に待つのは暗黒の世界だ。

 資本主義とは、科学や文化が進歩していない社会でこそ有効であり、未熟で野蛮な経済システムだと言わざるを得ない。

・共産主義の失敗は大きさ
 共産主義の欠点は言うまでもない、ソ連や旧東欧の失敗を見てしまった。そこにはもはや幻想は無い。では、何故そうなったのであろうか。
 その第一の原因は、規模が大き過ぎたと言う事だろう。
 計画を立て分業して実施しても、各段階で必ずズレが出る。生産状況の報告は数字で上がり、それは実態とかけ離れた物になる。 しかし、それに気付くのは難しい。意思決定をする人が、全ての現場を見る事は不可能だからだ。また、変革も難しい。 意思決定をする人に意見が届く事が、面倒な手順と時間が必要だからだ。

 つまり、現場と意思決定者の距離が遠くなってしまったこと。これが共産主義失敗の原因だと言える。
 そんな簡単な事?と不思議に思うかもしれない。先進国の企業でも、現場から離れた経営者が失敗してしまう事は、度々見受けられる事なのだ。

・小さな共産主義には成功例が 在る
 成功した共産主義など、世界中どこを探しても無いと思うかもしれない。しかし、実は無数に存在している。
 最も小さな成功した共産主義は、「家庭」である。夫は稼ぎに出て妻はパートや家事をする、子供は学校に行く。 仕事はバラバラで稼ぎも違う、しかし住む所と食べる物は、ほとんど同じである。土地や家や財産は共有で、 着ている物も大体一緒かもしれない。これは、上手く行っている共産主義だと言えないだろうか。

 また資本主義の「企業」も、企業単位で見れば立派な共産主義である。それは「計画経済」であり、営業と事務と製造で仕事が違っても、 ほぼ同じ額の賃金を分配している。例外が有るかもしれないが、成功した日本型企業と呼ばれるものは、間違いなく共産主義であろう。
 つまり、「優れた運営スタッフの居る信頼関係のある小さい共産主義」は必ず成功する。
 これがMAZU経済が成功する理由である。日本は昔、共産主義に近い資本主義社会を実現していた。そしてそれは、日本が一番輝いていた時代であった。

・MAZU経済における労働
 MAZU経済でも労働は必要だ。それは、みんなの生活の質の向上の為に存在している。それは苦役でも金儲けの為でも無い。 みんなの為、社会への奉仕活動として位置付けられる。

 もし、MAZU経済の元で万能ロボットが実用化されれば、資本主義とは全く逆に、人々は労働から解放され、 全ての人が貴族の様な優雅な暮らしをする事が可能になるだろう。

 労働者とは古い社会の概念であると言える。科学と文化が進んだMAZU経済社会において、労働者と雇用者を分ける概念は無くなる。 そしてそれは労働では無く奉仕活動になる。人の心は奉仕する事を望んでいる。ノルマの仕事は、人の為になり自分の為になる様にすれば良い、 それが一番いい仕事になるだろう。

・MAZU経済の政策協力
 現在の社会へのMAZU経済の導入に当たっては、小さな集団を地域ごとに多数作り、希望者だけが参加する仕組みで始めた方が良い。 旧ソ連のような国家全体での導入は上手く行くはずが無い、それは最悪の方法である。

 そして、MAZU経済参加者には、いろんな税制上の優遇処置をすることが望ましい。税金を使うのでは無く、免除する事で参加者を増やせる。 ただ現実には、最初から天引きを全て無しにする事は難しいだろう、しかし、まったく優遇処置が無いのでは、 行政として全くやる気が無いと言わざるを得ない。

 当初はMAZU経済の参加者は、失業者やパートや派遣や主婦や農業や年金生活者など、正規雇用者以外の人が向いているだろう。 フルタイムで働いてる人は、当初は参加が難しい。
 当初のノルマは、週に1〜2日程度になると思う。では、空いた時間はどうなるのであろうか。 取り敢えずは、今までの様に稼ぎに出れば良い。派遣やパートで十分である。その収入は、趣味や嗜好品に使える収入になるだろう。 また、趣味を生かして起業する事も考えられる。
 企業経営者がMAZUに加入していれば、もし倒産しても失業しても生活の不安は要らないし、有能な経営者であれば、 再起も容易になるだろう。MAZUは起業を応援するだろう。暇を持て余してる労働者はいっぱい居るのだ。
 このように、現在の社会システムにMAZU経済の導入しても、行政の協力が有れば大きな問題も発生しない。

・MAZU経済は無税国家の実 現に繋がる
 MAZU経済の最終的な目標は、無税国家の実現も含まれる。所得税や法人税や各種の税金を、可能な限り無くす事がMAZU経済の目標でもある。
 なにしろ、教育、医療、福祉などは自前で完結してしまうのだ。医療保険や年金の天引きは不要だし、雇用保険も不要である。 だから、無税に近づくのは当然なのだ。

 MAZU経済では、生産が有る限り失業が無い。参加者全員が公務員であるとも言える。また公務員的な社会福祉の仕事も、 当然ノルマの中の業務として有り得る。よって、公務員の業務も肩代わりが出来るようになり、人件費が減ると同時に地域サービスが良くなるだろう。
 社会を維持する為に必要な仕事はノルマである。その意味で全ての職業は同じ位置付けであり、そこに職業の貴賎は無い。

 MAZU経済は、十分に成長すれば、社会への貢献と言う最小限のノルマを果たすことで、衣食住はもちろん、 教育、医療、福祉などはすべて無料で提供出来るようになる。国家の重要で困難な問題が、税金を使う事無く完全に解決するのだ。
 そこに有るのは、無税国家である。

・MAZU経済の定着
 現代の人々は、常に悩みを抱えている。将来をどうするかとか子供の事とかとか、経済的な事が常に頭を離れない。 人間は人生の半分以上の貴重な時間を、経済的な悩みの為に使っているのでは無いだろうか。
 MAZU経済はこれらの悩みを不要にするだろう。不景気に呆然とする事も無い。失業も無い。

 もちろん個人の能力差があるので、仕事の割り振りは慎重に的確に行う必要が有る。最も仕事に向いた人を当てれば、早く仕事が完了し、 それが当事者の利益にも全体の利益にも繋がる。資本を基とする収入差がないので、本人の希望を生かした適者適職が可能になる。 無能な人がその地位に固執する必要も無くなるのだ。このように人事面の効率化も有る。

 MAZU経済の元で生産の自動化や省力化が進み、社会の課題や病気の克服が進めば、ノルマが減ると同時に生活が向上し、 かつ余暇が増えるだろう。楽したかったら、仕事した方が得なのだ。
 そしてMAZU経済が定着するに従って、少しづつ進歩し生産性が向上し、徐々に余暇時間が増えて行く。 これは資本主義では失業の増大に繋がった。しかし、MAZU経済では、その空いた時間は収入減無しに自分の為に使えるのだ。 芸術的な創作活動でも良いし、旅行や趣味の時間でも良い、無為に過ごすのもいいだろう。それは自由だ。
 進んだ社会において、人間は知的な活動を行う事で存在意義を十二分に発揮できる。知的活動や学習なら、やがて社会への更なる貢献に繋がるだろう。
 MAZU経済の元で、本当に生活に必要な物であれば、それが誰でも無料で手に入るようになる。さらなる贅沢品が欲しいのなら、 ノルマ以外の経済活動をして手に入れれば良い。

 そして最終的に実現するのは、知的で安全で豊かな生活 が保障された無税国家 であり、更には人工知能を持つロボットによる労働時間0の社会である。

 これは、夢物語でも幻想でも無く実現可能 なのだ。

(09.9.28仮UP、09.10.1小修正)2009.10.17
序章  基本経済システム「MAZU」
1章  グローバル経済の行き着く先
2章  MAZU経済の発展と最終形態(このページ)
3章  MAZU経済の理想
4章  新しい国の形
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